棒手裏剣競技大会

棒手裏剣競技大会

History

棒手裏剣競技大会|決勝大会

草創期(2018年4月~2018年12月)

東京神田にある武神館神田道場の場所を借りて、有志が集まって棒手裏剣の打剣稽古を行っていた。そこに他のスポーツ(屋外競技スポーツ)サークルの団体が、盛夏の間、室内でできる競技を求めて、同じ神田道場を借りて、棒手裏剣稽古を行うようになった。短期間に口コミで棒手裏剣仲間が増え、この場所を使って稽古する棒手裏剣の打剣者が、160名を越えた。2022年11月に行われた棒手裏剣競技大会の初代事務統括(雨紅)は、もともとこの棒手裏剣打剣場を使用する稽古仲間全体のまとめ役だった。

創始期(2019年1月~2019年6月)

東流の方々が神田稽古場で打剣稽古を行うようになった。東流の東哲導ご宗家は、この時期から大会開催が実現するまで一貫して、異なった意見を持つ者達の仲裁にご尽力いただいている。
神田道場打剣場だけで、かなり人数も多くなってきたので、競技大会をしようという競技スポーツサークルの団体から企画が出た。サークルの「流派や団体、個人にかかわりなく和して棒手裏剣の技術研鑽の場を作ろう」という提案に対して、まず東流が最初に賛同してくださった。神田道場の所有者であった武神館手塚道場の門下生も合流した。せっかくなので、外部からも出場者を募ろうと言う話になった。その希望を受けて、まとめ役がネットを通じて各棒手裏剣の流派、団体、個人に連絡を取り、挨拶をし、勧誘を行った。賛同者を募っていたこの期間中、武神館の菅先生はYou Tubeなどを通じて大会の情報を発信し、その広い影響力で大会の求心力を高めてくださった。

設立…九州で開催された交流大会と連携(2019年7月~)

九州の筑前流の呼び掛けで佐賀県嬉野に集まった有志での交流大会(2019年7月)の投稿を、神田の稽古場のまとめ役が、Facebookで見つけ、筑前流のご宗家、宮瀬昇次郎先生に連絡をとった。(写真はその交流大会の時の様子)
その後、意見交換を通じて、棒手裏剣競技会として行う方向で出場者を募ることになり、武道史上初の統一大会を見据え、ルールの策定・共有などを行うことになった。大会の名前を「古流棒手裏剣競技大会」とした(後に変更)。宮瀬ご宗家はご自身が中心となってルール策定を引き受けてくださった。今日まで、そのルールはどの流派が参加しても有利不利が少なく使えるルールとして、当競技大会の心臓部となり、その後様々な棒手裏剣競技会の標準ルールとして採用された。このルールは棒手裏剣競技の普及に大きく貢献している。

様々な流派、団体、個人の参加(2019年7月~)

棒手裏剣業界初の統一競技大会ということで、ご賛同くださる流派、団体が増えて行った。また、競技者や流派のご宗家からの推薦などで、打剣技術が高いレベルの方々を競技技術アドバイザー(初期呼称は『範士』)として大会にご指導いただくことになった。近藤流の青木直幹ご宗家、武神館大師範の長瀬先生は、大会からお願いをしてアドバイザーとなっていただいた。お二人の合流によって大会規模がさらに大きくなり、参加希望者が多くなったため、予選を行い、決勝戦の人数を絞ることになった。

予選開始(2019年9月~12月)

東京神田の道場での予選を皮切りに、11月には九州予選が始まり、地方予選も開始された。

コロナ流行のため、予選停止、決勝大会延期(2020年2月)

コロナの流行拡大を受けて、決勝大会を延期とした。参加を予定していた一部の流派、団体が道場の閉鎖をし、稽古場所を失うとともに決勝戦参加を断念した。


決勝大会開催を決定(2022年1月)

東京武道館第二武道場にて11月に決勝大会を行うことを決定。感染対策を行った個別対応で、予選も再開した。新旧流派が合流したため、大会名を「棒手裏剣競技大会」に変更した。

合同稽古会開始(2022年1月~2022年9月)

コロナの流行拡大を受けて、特に関東の棒手裏剣稽古場の閉鎖が相次ぎ、神田稽古場も閉鎖。神田の千代田区スポーツセンターにて合同稽古会を開催し、試行錯誤しながら大会出場者のフォローを行った。その後2カ月間は都内打剣場に分かれ、大会に向けて稽古を重ねた。

第一回棒手裏剣競技大会決勝大会開催

2022年11月5日(土)、第一回棒手裏剣競技大会決勝大会が無事に開催された。コロナ禍下で参加を見送る人も多い中、42名が東京武道館で記念すべき武道史上初の競技大会を戦い終えた。

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